全体の重力の流れが画面左上から右下へと向かっているように見える。空の藍色とオレンジの境の水平線、地面の多くを占めるの影の輪郭、2人の人物の影の水平線は、それぞれ若干右斜め下に傾いている。また、2人の人物の身体の上下関係も、その右斜め下への流れに沿うような流れを作っている。
しかし、もう少し画面を眺めていると、全体に一貫していると考えられた右下へ向かう重力の流れが、局所の作用によって歪められている。全体の右下に向かう重力の流れを、右の女の身体は壁の様に受け止めて、(右下への流れに抗うように顔が前のめりになっている)身体の前に空間の歪みを作っている。歪みは、女の手元から膝下にかけて起こっている。この歪みによって、身体の背景にある岩は、身体の輪郭付近で、まるで液体になったかのように向こうへ折れ曲がり、身体との間にできた溝へと吸い込まれているようだ。
身体と背景の間の溝を通して、絵さらに奥へと、身体と背景は吸い込まれていくわけだが、その方向に逆行するように、女のお尻ら辺の布が後ろへつねられたように引っ張られて尖っている。背中からも、それと同じ後ろ方向に棒が生えて突出している。
尻と背中、これらの身体の後ろに向かう突出が、身体の前で起こっている内部的な吸い込まれを際立てる。(双方は相乗的に際立っている)
この様な女の身体とその周辺で起こっている事は、全体の右下へと向かう重力の流れを局所的に歪ませつつ、全体の流れを解体するにまで影響していく。全体の重力は、身体の前の背景との間の溝を通って画面奥へと吸い込まれ、それと同時に身体の後ろでは、身体のお尻と背中の画面右上に向う(重力と逆方向の)突出に影響を受ける。
一方画面左の男にも、奇妙な事が起こっている。明らかに重たい荷台が、男の頭部から伸びて、まったく重量がないかの様に画面上へと釣り上げられている。それにより、むしろ、この荷台の重量は、地面に置いてある時よりも観者に意識されるだろう。荷台の重みを強く感じはじめる。これは、真下へと向かう重力であり、「てこの原理」で、もし荷台が下に落ちる時、男が逆に上に釣り上がり、左回転(反時計回り)によってそれらは上下逆転する。このスリリングな左回転の上下逆転が起こりそうな事を、どうしても、画面を見ていて想像してしまう。それは全体の右下への方向を回転の引力により歪ませる。しかし、この「歪み」が作動するのは、少し遅い。それは、画面内では決して起こっていなく、私が画面を知覚して、荷台の重さが表象された瞬間以降に、起こりはじめていく。
元のミレーの絵を見ると、全体の右下への流れと、それを歪ませる予感のある、地面に刺さった槍のてこの原理によって左外側へと働く重力が確認できる。 これらの全体の流れと構成要素の関係性を、ダリは受け継ぎ、さらに操作したのだろう。 しかし、ダリは他の絵でもこの絵を引用するが、面白いのは、いつもその扱い方と視点、スケールなどが全く異なる点だ。毎回違うテーマでそれを扱っている。